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少年ハリウッド 第20話「僕たちの延命」①ーアイドルとしての死ー

少年ハリウッド第20話は、マッキーファンはもちろんのこと、視聴者全体でかなり高評価のエピソードでした。以前の記事で、アイドルアニメ界での少ハリの立ち位置についてはお話ししたんですけれど、この20話がどういう意味を持っていたのか、様々な側面から書いていきたいと思います。

 

 ①ファンとアイドルの関係性

少年ハリウッドにおいて特筆すべきは「ファンとの関係性」を特に丁寧に描いていた点だと思います。つまり、アイドルという職業は他の様々な職業と同じように「需要と供給」で成り立っているということ。もっと言えば与えることばかりではなく、求められていることについても考えなければならないということです。

以前も書いたことですが、現実のアイドルファンは私たちドルオタ自身の想像を超えるほどに「シビア」です。アイドルという職業を辞めることよりも、アイドルオタクを辞めることの方がよほど簡単。アイドルという職業を始めることよりも、アイドルオタクを始めることの方が全然簡単です。アイドルは、歌、ダンス、トーク、笑顔、言葉、その他もろもろを提供することでファンからお金、言葉、笑顔、お金 、お金をもらうことができます。つまり、いくら素晴らしい供給物を生産しても、それに対して金銭を支払う人がいなければどうにもならないのです。そういった需要と供給の関係性において、ファンはアイドルを選ぶ側にあります。そしてその選択は、アイドルが生計を立てていることと釣り合わないほどに軽く行われてしまいがちです。どうしようもありませんがおそらくこれは事実です。アイドルという存在は、私たち移り気で気まぐれなファンの関心をいかにひきつけ、どれだけ長い間そばにいてもらうのかということを、どうしても考えなければならない存在なのです。
そこを的確に表わしていたのが、20話でのシャチョウとテッシーの会話でした。

 

「アイドルにとって一番恐ろしいものは時の流れと慣れです。時の流れは誰にも止められません。でも慣れることは止められる。そこにアイドルの寿命を延ばす鍵があるのです」
「センターを変えることがアイドルの寿命を延ばすと。ファンの方も飽きないですもんね」
「違うんです。センターが変わるという、そこに本質はないのです。そんなことを続けても、結局アイドルは消費されつづけ、ファンもいつかは飽きる。私が守りたいのは彼らです。彼らが今の状況に慣れてしまったら、アイドルとしての死が必ず訪れる」
「慣れから彼らを守ることで、初めてファンも守られると」

 

20話の話をおさらいしましょう。これまで、結成してからずっと少年ハリウッドのセンターはマッキーが務めていました。しかし、シャチョウから突然、センターの変更が告げられる。新しいセンターを決めるということで、少ハリのメンバーは各々センターを勝ち取るべく自分を高めアピールを始める、というのが話の前半の大まかな流れ。この会話は、そのアピール合戦がひと段落ついた時点で行われました。一体、なぜシャチョウは突然センターの変更を決定したのか。
センターという概念は最近になってAKBGの登場により一気に定着しましたが、アイドルグループの顔、いわば代表格としての存在はそれはそれは太古昔から存在していました。3人以上のアイドルグループなら、ほぼ確実に「センターらしきもの」がいると思います*1。ここでは「センター格の存在」と言った方がよいでしょうか。グループがステージで並ぶ必要がある以上、必ず真ん中に位置する人というのは決まってきます。グループの必然です。
シャチョウの発言を見てみましょう。この会話、どこをとってもなるほどと唸らずにはいられないのですが、私として最も注目したいのは「アイドルとしての死」という言葉。この話を聞いた時、私の頭には、ワンピースの有名な台詞が思い浮かびました。

 

「人はいつ死ぬと思う…? 心臓を銃で撃ち抜かれた時……違う。猛毒のキノコスープを飲んだ時……違う!!!…人に忘れられた時さ…!!!」

 

ものすごく有名なチョッパー編でのDr.ヒルルクの発言ですが、アイドルの死も似てるなと思いました。もちろん、アイドルという職業についている人間自体は忘れられたぐらいで死にません。心臓が止まるまで生き続けます。しかし、アイドルとしての彼らは、忘れられる、つまり飽きられた時点で、恐らく死んでしまいます。それが、アイドルとしての死。それほどに、アイドルというのは飽きられることを恐れているのです。
この事象を説明しようとすれば、とてもたくさんの方法があるでしょう。きっと、人によって答え方も違うと思います。それは、この問いに対する答えは、「なぜ人はアイドルを追い求めるのか」という問いへの答えともなるからです。そして、同時に「なぜ人はアイドルに飽きてしまうのか」という問いへの答えともなります。みなさんは、好きなアイドル、俳優、女優、モデル、歌手、バンド、キャラクター、それらに対して追い求めたいと思うほど好きになったことがありますか。そしてそれほどに追い求めていたのに、いつの間にかそのことにすら飽きてしまったことがありますか。それはなぜだったのでしょうか。きっと、この問いは、私たちのとても深い深い部分まで入りこんでくるものなのです。
*2

そこでシャチョウは言います。「守りたいのは彼ら」。つまり、アイドルそのものであるということを。

「忘れられること」がすなわち死なら、忘れられないためにはどうすればよいのか。ひとつには、関心を惹きつづけることなのでしょう。しかし、どうすれば人の関心を永遠に捉えつづけることができるのでしょうか。これは、先日から言っている「どうすれば売れるのか」という問いに対して答えがないのと一緒で、そんなことを叶える方程式があれば、世の中のアイドルは全員ヒットしてしまっているのです。

結局のところ、アイドル自身が常に新しくなくてはならない。シャチョウの出した結論はそうだったのではないかと思います。それが「慣れから彼らを守る」ということなのでしょう。シャチョウとテッシーの会話は、最後の方にもあります。

 

「彼らは今、一生に一度しか歌えない歌を歌っています。本当は毎日がそうなのに、人はすぐそれを忘れてしまう」
「今、それをあの子たちは思い出したんですね」
「慣れは人を狂わせる。私たちの仕事はアイドルである彼らをそこから守ることです」
「永遠にも守れたらどんなにいい事でしょう」

 

アイドル自身が常に自分を新しくする。そうすることで、ファンは「今日は前とは違う、新しい別のことが起きる」と思って会いにいく。「今日会いに行っても、前と同じことが起きる」と思えば、会いに行く気持ちよりも、会いにいくコストの方が勝ってしまうでしょう。そうして会いに行かなくなり、関心がなくなり、アイドルは死んでしまう。そしてこの時点で、アイドルだけでなく、アイドルのファンとしての自分も死んでしまっているのです。そこが、「慣れから彼らを守ることで、初めてファンも守られる」という発言の意味なのではないかと思います。

まとめていきましょう。アイドルは、ただ与え、求められるだけの存在ではない。求められ続けるという意味で、実はアイドルはあくまで「選ばれる立場」であるということ。想像以上に、アイドルの立場は弱い部分があるのです。そして、そのように弱い立場のアイドルは、ファンからの関心がなければ、アイドルとして容易に死んでしまう。アイドルはただ歌って、踊って、笑顔を振りまいているだけでは足りない。好かれ続け、求め続けられるために、常に努力をしつづけなければ実際の所ならない。そのために少年ハリウッドが求めたのが「常に新しい自分であり続けること」だったということです。

改めて、アイドルという存在が抱えているものの大きさ、多さ、複雑さに気づかされます。大変長くなってしまいましたので、今回はいったん「アイドル論」としての話を終えて、次回は同じ20話を「表現論」の立場から考えていきたいと思います。

*1:もちろんセンターだと明確に決めていないものも含めてです。ここでは、そのグループと言えば?と聞かれて思い浮かぶ人のことも指します

*2:私なりに答えを出そうとすれば、「アイドル」だから以外の何者でもないのかな、と思います。例えば、小学校の同級生、中高の同級生、もう何年も会っていないし、これからも能動的には会うことのない人たち。彼らは本当に生きているんでしょうか。きっと生きているでしょう。でも、もしかすれば不慮の事故で亡くなっているかもしれません。なぜなら、長い間会っていないからです。実際に会わなければ、その人が生きているのか死んでいるのかもわからない。では、なぜそもそも人は誰かと出会おうとするんでしょうか。その人に関心があるから、用件があるから、いっしょにいたいから。そんな気持ちももちろん必要です。だけれども、私たちが、誰かと会おうとするときに、この人に会いたいという気持ちだけで、連絡を取って、日取りを決めて、待ち合わせ場所を決めて、ご飯を食べる店を予約する。そこまでする人が何人いるでしょうか。もちろん、毎日会っている職場の人や、学校の友達なら、まだ可能でしょう。しかし、物理的に距離の離れた友達と能動的にコンタクトを取ることは、思った以上に労力と気持ちを要するもののはずです。アイドルもそんな人たちと同じです。物理的距離は、どれほど関心があっても、能動的にコンタクトを取ることへの枷となります。コンタクトを取る手間を惜しんででも、好きなアイドルに会いに行きたい。これは本当はものすごいことなのです。だからこそ、会いに行きたいという気持ちを持続させるためには相当な気力が必要となってくる。つまり、会いたい気持ちがほんの少しでも緩まってしまえば「コンタクトを取る手間」は想像以上の重荷となるのです。そうなれば待っているのは、「会わなくなることによる忘却」、つまりアイドルとしての死です。